1. レストラン

    漁港で競り落とした新鮮素材生かした料理!

  2. お土産ショップ

    香住ならではの名産品が盛りだくさん

  3. オンラインショップ

    こだわり商品をネットでお取り寄せ!

  4. お料理メニュー

    厳選素材を使用したお料理メニュー

  5. KAN-ICHIとは?

    「KAN-ICHI」とは一体何なのか?

  6. 歴史と哲学

    歴史から積み上げられた哲学

歴史と哲学

歴史から積み上げられた哲学

香美町香住区下の浜。
そこは、海も近く、山も迫り、それぞれの恵みを味わうことができ、気さくな住人たちは、よく働きご近所付き合いも盛んな地域です。先代の父市郎は、代々受け継がれている農業に従事し、夏は磯漁、春・秋は米作りや梨、冬は京都へ荷降ろしの出稼ぎに行く生活でしたが、昭和38年の豪雪で梨の木が倒れ危機を感じ、これからの時代を見越して翌年、三田浜海水浴場に、海の家「まつや」を開設致しました。これを機に、観光業へと転進することになったのです。

それから、昭和47年(1972年)、母智枝と共に、電気も通ってない田んぼの真ん中に、一軒(現在地)、民宿「定助」を開業するに至りました。宿を営みながら、今までどおり米、梨、野菜作りを続け、魚介類は港へ出向き仲買人を通して買い付けに行き、お客様に新鮮なお食事をご提供して参りました。又、有志と共に香住温泉を掘削、客室も当初から増築を重ね、現在に至る道筋を作ってくれました。

そんな両親の姿を間近に感じ、幼少の頃より手伝いをし、海や野遊びを楽しんだ店主、弘行は高校卒業後、気の向くまま沖縄で過ごしたり、高校の頃より夢中であった、スケートボード、サーフィンを仲間達と楽しみ大会にも出場し、スキューバーダイビングのライスセンスをとり、オートバイで一人旅をしたりと、青春を謳歌し、人々と出逢った貴重な経験を通し、生まれ育ったこの地で、本格的に家業を手伝うことを決断しました。

それから現社長弘行は、平成5年32才の時、結婚を期に、「定助」を「さだ助」と改名し、同場所に4階建ての和モダンな建物へと建てかえし、新たなる出発を試みました。それと同時に父市郎は、経営を息子弘行に委ね、第一線を退きました。この瞬間からが今のKAN=ICHIの原点であり、当時では画期的である手法と共に、今も尚その手腕を試され、常にイノベーションしているといっても過言ではないでしょう。

そんな矢先に、10年目という節目に心の支えであった父市郎がこの世を去りました。平成18年、干し物などお客様に提供できるものは、なるべく、自分達の手作りで安心安全な食材との想いで、仲買人となり、漁港近くに、干物屋「干市」かんいちを開きました。その名の由来は、干物屋の「干」 そして、創業者市郎の「市」の一文字を取り命名致しました。改めて父の背中を見て感じていたことは、「こつこつ」「謙虚であれ」という言葉であると気付き、その教えは、次世代へと繋げて行きたいと考えています。景気の良い状況であっても、これらを忘れず、自分を見つめ直し、前へ進み目標を成し遂げたい、そんな想いをこれからも、こつこつと形にして行きます。

平成25年、お蔭様で「さだ助」は、20週年を迎え、人間に例えるなら成人式を迎えるようなもので、地域の中で私達にやれることがないかと思えるようになった時期でもございます。香住の町は、過疎化が進み、若者が再び帰って来れる町づくりにしていきたい。近隣の町、又季節問わず、この地に訪れる人を増やし、海、山を通じてこの地の自然を満喫していただきたい。日本は、島国であるにもかかわらず魚を食べる機会が減っているので素材を工夫し魚の美味しさを知ってもらいたい。香住の特産品、前浜で揚がった魚介類、先祖の頃より守ってきた、米、梅、梨、畑などの生産者の見える安心、安全な食べ物を提供していき、レストランにて食べてもらい、気に入った食材などは、ネットやその場で買うことが出来るようにしたい。地元スタッフによる魚介類を使った体験教室を開催し、香住の思い出を持ち帰ってもらいたい。
又、コミュニケーションの場として、多くの方に利用していただきたい。そして、ここを拠点として情報発信をし、日本全国はもとより、世界からもこの地を訪れてほしい。

その、想いを形にしたのが、KAN-ICHI です。